今回は、相続現場で相談の多い、 遺言能力と認知症 (認知症の疑いがある親が書いたor書かされた遺言書の有効性)について、実務的な視点から詳しく解説いたします。
ご家族の間で「兄が父に無理やり遺言書を書かせたのではないか」「あの時の父は、もう正常な判断ができなかったはずだ」といった不信感が生まれると、遺産相続は一気に深刻な紛争へと発展してしまいます。
本記事では、遺言書が有効か無効かを決める最大のポイントである「遺言能力」を中心に、裁判で判断される基準、認知症との関係、そして疑念が生じた際の具体的な対処法や予防策まで、徹底的に掘り下げていきます。
少し長い記事になりますが、目次をご活用いただき、今まさに悩まれている方、将来に不安を感じている方の道標としてお役立ていただければ幸いです。
はじめに なぜ「兄が父に書かせた遺言書」はトラブルになるのか
相続の手続きにおいて、故人が遺した「遺言書」は原則として何よりも優先されます。しかし、その中身が「長男にすべての財産を相続させる」「特定の子供だけに都合の良い内容になっている」というものだった場合、他の相続人であるご兄弟が強い不満や疑問を抱くのは当然のことです。
特に、遺言書が作成された当時、お父様が高齢で認知症の兆候があったり、お兄様と同居していて外部との連絡が途絶えがちだったりした場合、以下のような疑念が膨らみます。
「父は本当に自分の意思でこの内容を書いたのだろうか?」
「兄が紙とペンを無理やり握らせて、言われるがままに書かせたのではないか?」
「当時の父の認知症の進行具合からして、こんな複雑な遺言を理解できたはずがない」
このように、遺言の内容そのものへの不満だけでなく、「作成されたプロセス(過程)の不透明さ」と「遺言者の精神状態への疑念」が重なることで、泥沼の親族トラブルへと発展してしまうのです。
遺言書の基本と「遺言能力」の重要性
そもそも、遺言書が法的に有効に成立するためには、いくつかの厳しい要件をクリアしなければなりません。民法では、遺言の方法や形式(自筆証書遺言、公正証書遺言など)が厳格に定められていますが、それ以上に重要となるのが「遺言能力」です。
遺言能力とは、「自分がこれから行う遺言の内容とその法律上の効果(自分の財産が誰にどう渡るか)を正しく理解し、判断することができる能力」のことを言います。
民法第961条では、「15歳以上の者は、遺言をすることができる」と定められており、年齢的な下限はありますが、上限はありません。しかし、年齢に関わらず、遺言をする時点でこの「遺言能力」が欠けていた場合、その遺言は法的に一律「無効」となります。
遺言は、本人が亡くなった後に効力を発揮するものです。つまり、遺言書が動き出すときには、もう本人はこの世にいません。「本当にこの内容で良かったのですか?」と本人に確認することが不可能なのです。
そのため、もし判断能力が衰えた状態につけ込まれて作られた遺言書がそのまま通用してしまうと、本人の本当の意思(真意)が踏みにじられ、特定の人間によって財産が不当に奪われる結果になってしまいます。法は、このような事態から遺言者の財産と意思を守るために、遺言能力を極めて重視しています。
認知症=遺言書が無効、とは限らない「法的な現実」
ここで、多くの方が誤解しやすい非常に重要なポイントを解説します。それは、「お父様が病院で認知症と診断されていたからといって、それだけで遺言書が自動的に無効になるわけではない」という点です。
実務や裁判において、この問題は非常に繊細に扱われます。
認知症、特に日本人に多いアルツハイマー型認知症や脳血管性認知症などの多くは、ある日突然すべての記憶や判断力が失われるわけではありません。
① 朝は調子が良く、昔のことも今のこともはっきり話せる。
② 夕方になると急に混乱し、自分のいる場所が分からなくなる。
③ 複雑な計算はできないが、「自宅は長男に、預金は長女に」という自分の希望は一貫してはっきり言える。
このような、判断能力が良い時と悪い時が交互に現れる状態を「まだら認知症」などと呼びます。
法的な判断においては、「遺言書を書いたその瞬間、その数時間(あるいは数分間)に、遺言内容を理解する能力があったかどうか」がピンポイントで問われます。そのため、たとえ認知症の診断書が出ていたとしても、書いた瞬間に意識がはっきりしていれば、その遺言は「有効」と判断される余地が残るのです。
また、「成年後見制度」を利用している場合についても触れておきます。
① 補助・保佐を受けている人
原則として自由に遺言ができます。
② 成年後見を受けている人(常に判断能力を欠く常況にある人)
原則として遺言はできませんが、民法第973条に基づき、「医師2名以上の立ち会い」のもとで、本人が事理を弁識する能力を一時的に回復していると医師が認めれば、遺言をすることが可能です。
このように、法は「認知症だから一律に遺言の権利を奪う」のではなく、「できる限り本人の意思を尊重する」スタンスを取っています。だからこそ、逆の見方をすれば、「怪しい遺言書」を無効だと主張して覆すことは、決して簡単ではないという厳しい現実があります。
裁判所はどこを見る? 遺言能力の有無を判断する「4つの要素」
では、お兄様が父親に書かせた遺言書の信ぴょう性を巡って裁判(訴訟)になった場合、裁判官は何を基準に遺言能力の有無を判断するのでしょうか。
過去の膨大な裁判例(判例)を分析すると、主に以下の「4つの要素」を総合的に考慮して結論を出していることが分かります。
【遺言能力の総合判断基準】
① 医学的要素(認知症の進行度、長谷川式スケールなどの数値)
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② 行動的要素(遺言作成前後の言動、生活状況、日記や手紙)
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③ 遺言内容の複雑性(財産の量、分け方のシンプルさ・複雑さ)
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④ 遺言の動機・背景(これまでの家族関係、介護の負担状況)
これら4つの要素について、具体的に詳しく見ていきましょう。
最も客観的な指標となるのが、医療機関での受診記録です。
・ 認知症の介護度・ステージ
軽度・中等度・重度のどれに該当していたか。
・ 認知機能テストの点数
「HDS-R(改訂長谷川式簡易知能評価スケール)」や「MMSE」の点数。例えば、長谷川式で30点満点中20点以下が認知症の疑い、10点未満は高度の認知症とされます。10点未満の時期に書かれた遺言書は、無効と判断される可能性が著しく高くなります。
・ 頭部MRIやCT画像
脳の萎縮の程度。
・ 医師のカルテ・看護記録
遺言作成日の前後に「本日の発言に一貫性がない」「妄想が見られる」といった記述がないか。
医学的な数値だけでなく、日常生活でどのような振る舞いをしていたかも重視されます。
・ 自分で身の回りのことができる状態だったか。
・ 家族や近所の人、ケアマネジャーとどのような会話をしていたか。
・ 遺言書を自筆で書いている場合、その筆跡が震えていないか、誤字脱字だらけではないか、途中で文章の辻褄が合わなくなっていないか。
遺言能力は、「その遺言の内容を理解できたか」という相対的なものです。そのため、遺言の内容がシンプルか複雑かによって、要求される能力のハードルが変わります。
・ シンプルな内容
「自宅を長男に相続させる」の一言だけであれば、比較的認知症が進行していても「理解できていた」と認められやすいです。
・ 複雑な内容
「A銀行の口座は〇〇に3割、〇〇に2割、不動産は信託を設定して、有価証券は売却して…」といった、高度な法律知識や計算が必要な内容の場合、高いレベルの判断能力(遺言能力)が要求されます。認知症を発症している状態では、このような複雑な遺言を一人で理解して作成することは不可能に近いと判断され、無効になりやすくなります。
その遺言が書かれるに至ったストーリーに「不自然さ」がないかどうかも、裁判官は厳しくチェックします。
・ 従来の意思との一貫性
昔からお父様が「財産はみんなで平等に分けなさい」と言っていたのに、お兄様と同居し始めた途端に「兄にすべて譲る」と変わった場合、不自然とみなされます。
・ 相続人との関係性
お兄様が献身的に介護をしていたのであれば、多めに譲る動機(理由)がありますが、全く寄り付かなかったお兄様が急に割り込んできて遺言を書かせたような場合は、他人の誘導や強要が疑われます。
・ 作成のプロセス
遺言書を作成する際、お兄様が特定の専門家を独断で手配し、他の兄弟を一切部屋に入れずに密室で書かせたようなケースは、遺言能力の疑わしさに拍車をかけます。
「怪しい遺言書」に直面した時の具体的なステップ(調査・証拠集め)
「お兄様が父に書かせた遺言書が見つかった。でも、どう考えても当時の父の状態はおかしかった」
そう確信した場合、ただ感情的に「認めない!」と叫ぶだけでは事態は解決しません。法的に遺言の無効を主張するためには、客観的な「証拠」をどれだけ集められるかが勝負の分かれ目となります。
あなたが今すぐ起こすべき具体的なアクション(調査ステップ)を解説します。
まずは、その遺言書がどのタイプかを確認します。
・ 自筆証書遺言(自宅保管)
お父様が自分で書いたとされるもの。家庭裁判所での「検認(けんにん)」手続きが必要です。検認の際に、原本の筆跡や状態をしっかり確認し、コピーを取ります。
・ 自筆証書遺言(法務局保管)
2020年から始まった制度。法務局に保管されているため、紛失や破棄の恐れはありませんが、法務局は「遺言能力の有無」までは審査していません。
・ 公正証書遺言
公証役場で公証人が作成したもの。公証人が本人の意思を確認して作成するため極めて高い証拠力がありますが、「公正証書遺言だから絶対に無効にできない」わけではありません。 公証人は医師ではないため、一見しっかり話しているように見える高齢者の重度な認知症を見抜けないケースもあるからです。
遺言書が作成された「年月日」を特定したら、その前後の期間におけるお父様の医学的データを集めます。
① 病院のカルテ・看護記録の開示請求
お父様が通院・入院していた病院に対し、カルテや看護記録、検査結果(長谷川式スケールの点数など)の開示を求めます。法定相続人であれば、原則として単独で開示請求が可能です。
② 介護保険の「認定調査票」および「主治医意見書」の取得
要介護認定を受ける際に、市区町村の調査員が作成した「認定調査票」や、医師が書いた「主治医意見書」には、当時の認知症状(物忘れ、徘徊、妄想、意思疎通の可否など)が非常に具体的に記録されています。これは役所の介護保険課などで開示請求ができます。
③ ケアプラン・介護記録の入手
利用していたケアマネジャーや、デイサービス、訪問介護事業者が作成していた日々の介護記録を取り寄せます。「今日は自分の年齢が分からなかった」「息子(兄)に言われるがままに書類にサインしていた」といった現場のリアルな証言が残っていることがあります。
お父様自身の遺品や、あなたとのやり取りの中にヒントが隠されていることがあります。
① お父様の当時の日記、メモ、手帳
漢字が書けなくなっている、予定を全く管理できていないなどの形跡。
② 家族間のLINE、メール、通話録音
お兄様から「最近親父のボケが進んで、俺のことも分からん時がある」といった連絡が来ていれば、それはお兄様自身が認知症を認識していた強力な証拠になります。
③ お父様の預金通帳
遺言書作成の前後で、不自然な大口の出金(お兄様による使い込みの疑い)がないかをチェックします。
遺言書の有効性を争う法的手段(遺言無効確認調停・訴訟)
証拠が集まったら、いよいよ法的な手続きを用いて遺言の無効を訴えていくことになります。この争いは、一足飛びに裁判を起こすのではなく、日本の法律では「調停前置主義」が採用されているため、まずは話し合いからスタートします。
| 手続きの段階 | 行う場所 | 内容と特徴 |
| ① 遺言無効確認調停 | 家庭裁判所 | 調停委員を間に挟んだ「話し合い」。お兄様との間で「この遺言 は無効として、改めて遺産分割をやり直そう」という合意を目指 します。双方が妥協しなければ不成立(不調)に終わります。 |
| ② 遺言無効確認訴訟 | 地方裁判所 | 話し合いが決裂した場合に進む「本番の裁判」。お互いが証拠を 出し合い、最終的に裁判官が「有効か無効か」の判決を下します。 解決まで1年〜数年かかる長期戦を覚悟する必要があります。 |
遺言無効確認訴訟は、民事裁判の中でも極めて難易度が高い部類に入ります。
なぜなら、「遺言が無効である」と主張する側(つまり、あなた側)が、遺言能力がなかったことの立証責任(証拠を出して証明する義務)を負うからです。
裁判所は、よほどの確実な証拠がない限り、一度作成された遺言書(特に公正証書遺言)を簡単には無効にしません。集めた医療記録や行動記録をパズルのように組み合わせ、「遺言書作成日に、父に遺言能力がなかったことは誰の目から見ても明らかである」というストーリーを論理的に組み立てる必要があります。
そのため、この段階に達した場合は、相続分野に強い弁護士を代理人に立てて戦うことが必須となります。
もし、万が一「遺言は有効である(遺言能力はあった)」と裁判所で判断されてしまった場合、あるいは裁判で戦うリスクや費用が高すぎると判断した場合は、別の切り口として遺留分の請求を検討します。
遺留分とは、一定の法定相続人(子供や配偶者)に法律上最低限保障されている、遺産の取り分のことです。
たとえ「長男(兄)に全財産を相続させる」という遺言書が有効だったとしても、あなたには本来の法定相続分の「2分の1」の金銭を、お兄様に対して請求する権利があります。
遺言無効を本気で争うべきか、それとも遺留分請求に切り替えて確実に一定の財産を確保すべきか、冷静な引き際の見極めも実務上非常に重要です。
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事前のトラブル防止策 デジタル化が進む現代だからこそ遺言は厳格に
ここまでは「すでに怪しい遺言書ができてしまった後」の対処法をお話ししてきましたが、この記事を読まれている方の中には、「まさに今、同居している兄が認知症気味の父に遺言を書かせようと画策している」という予防ステージにいる方もいらっしゃるでしょう。
また、これからご自身が遺言を書こうとされている方にとっても、後から子供たちに「この遺言書は怪しい」と疑われないための強力な予防策を知っておくことは重要です。
現代は行政手続きのデジタル化(DX)などが急速に進んでいますが、遺言や相続という人間の根幹に関わる法律手続きにおいては、未だに「極めてアナログで厳格な手続き」が最大の防御壁となります。
将来の無効主張を完全にシャットアウトするための最強の組み合わせがこれです。
① 作成当日に医師の診察を受ける
遺言を作成する当日に、精神科や心療内科、認知症専門医を受診し、「本日は意識が極めて明晰であり、自分の財産処分に関する意思決定を行う能力を有している」という旨の診断書を書いてもらいます。
② 公証役場で公正証書にする
公証人と2名の証人の立ち会いのもとで作成します。
③ 作成風景を動画で記録する
公証人がお父様に「この自宅を長男さんに譲るということで間違いないですか?」と問いかけ、お父様がご自身の口で「はい、間違いありません。長男には今まで世話になったので、家を遺したいのです」と、ハキハキとした口調で答えている様子をカメラ(スマートフォン等)でノーカット撮影しておきます。
ここまで徹底された証拠が遺されていれば、後から他の兄弟が「兄貴に書かされたんだろ!」と騒いでも、裁判で覆る可能性はほぼゼロになります。
お兄様が密室で父親に書かせるから疑念が生まれるのです。お父様の判断能力がまだあるうちに、兄弟全員、そしてお父様も交えた「家族会議」の場をセッティングしましょう。
お父様自身の口から「これからの財産をどうしたいか」を全員の前で話してもらい、それを議事録や合意書、あるいは公正証書遺言という形に落とし込んでいくのが、最も健康的でトラブルのない方法です。
まとめ ~ 家族の絆を守るために行政書士ができること
「兄が父に書かせた遺言書が怪しい!」という問題は、単なるお金の奪い合いではなく、「これまで育ててくれた親の本当の想いを守りたい」という尊厳の戦いであり、同時に「信じていた兄弟への裏切りに対する怒り」という感情の戦いでもあります。
お父様が遺された遺言書が、本当に本人の自由な真意によるものなのか、それとも認知症につけ込まれて作られた虚構のものなのか。それを見極め、戦うためには、感情に流されず、冷静に客観的な証拠を集める知恵とパワーが必要です。
行政書士がお手伝いできること
私たち行政書士は、裁判で相手と直接戦う「代理人(弁護士の領域)」にはなれません。しかし、そこに至る前段階の非常に重要なパートで、あなたを力強くサポートすることができます。
① 遺言書の形式チェックや、当時の医療・介護記録の収集アドバイス
② 客観的な事実に基づいた親族間の話し合いのための書類(合意書案など)の作成
③ 将来トラブルを起こさないための、非の打ち所がない「公正証書遺言」の作成サポート(文案作成、公証役場との調整、証人としての立ち会い)
④ ITやDXの波に乗り遅れ、手続きが分からず困っているご高齢者やご家族の「デジタル・アナログ両面での手続き徹底サポート」
特に、高齢期のインフラ手続きや相続準備において、「何から手を付けたらいいか分からない」「兄の圧迫感に負けそうだ」という方の、最初の相談窓口として行政書士は存在しています。
もし、お父様の体調や、お兄様の動きに不穏な空気を感じたら、問題が完全にこじれてしまう前に、ぜひ一度お気軽にご相談ください。札幌の地に根ざし、皆さまのご家族の安心と絆を守るために、誠心誠意サポートさせていただきます。
■ 札幌での相続・遺言のご相談なら
札幌市東区の「つしま行政書士事務所」では、実家の相続手続きや、遺言書の作成に関するご相談を承っております。 40年間の企業法務・契約業務の経験とFPの視点を活かし、ご家族の想いを形にするサポートをいたします。初回相談は無料ですので、一人で悩まずに、まずはお気軽にご連絡ください。
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