人生には、自分では選ぶことのできない家族という環境があります。親からの無償の愛を注がれて育つ人がいる一方で、不条理な差別や暴言、時には暴力を受けながら、傷だらけで自分の人生を切り拓かなければならなかった人もいます。
今回ご紹介するのは、ある画家の男性の壮絶な半生と、彼が直面した「 不仲な兄弟 」から財産を守るという、法的課題についての物語です。
「自分が血の滲むような努力で築き上げた財産を、自分を傷つけ続けた憎き兄弟にだけは絶対に渡したくない」
そのような想いを抱えている方に向け、物語風にして分かりやすく解決策をまとめました。
少し長くなりますが、気軽な気持ちで読み進めてみて下さい。
第1章 とある画家の壮絶な物語 ~ 親に愛されなかった長男の人生
「お前は本当に出来が悪い」 幼少期から始まった弟との格差
私、岡田典史の記憶にある幼少期は、いつも孤独と冷ややかな視線の中にありました。
幼いころから勉強が得意ではなく、小学校のころから成績は常に下位。要領も悪く、両親からは事あるごとに「お前は本当に出来が悪い」「誰に似たんだ」と呆れ顔で吐き捨てられていました。そんな私が唯一心を休められたのは、部屋の片隅で絵を描いている時間だけでした。誕生日に祖母が買ってくれた12色の色鉛筆を大切に握りしめ、画用紙に向かっているときだけが、辛い現実を忘れられる唯一の救いだったのです。
私には2歳下に、弟の隆司がいました。
この弟は幼いころから非常に要領がよく、計算高い性格をしていました。両親の前では絵に描いたような「聞き分けの良い素晴らしい子」を演じ、学校の成績も常に優秀。両親の寵愛は、完全に弟へと注がれていました。食卓に並ぶ料理の質から、買い与えられる服や文房具に至るまで、私と弟の間には目に見える圧倒的な格差が存在していたのです。
中学校に上がる際、弟は当然のように有名な中高一貫の私立学校に進学しました。一方の私は、地元の公立中学校へ。それどころか中学卒業が近づくと、両親は私に対して「お前には高校へ行く必要なんてない。義務教育は終わるんだから働きに出ろ」と言い放ったのです。
「頼むから高校に行かせてほしい」と頭を下げても両親は耳を貸しませんでした。見かねた祖母が「典史にも高校くらい行かせてやりなさい」と両親を強く説得してくれたおかげで、なんとか地元の公立高校に通えることになりました。しかし、それには冷酷な条件が付けられていました。
「高校を卒業したら、すぐにこの家を出ていくこと。二度と戻ってくるな」
それが、実の親から提示された条件でした。
私自身も、親からの愛情が一切ないことや、弟との圧倒的な扱いの差に限界を感じていました。さらに耐えがたかったのは、両親の見ていない場所での弟の態度でした。成長するにつれ、弟は私よりも身体が大きくなり、高校生あたりからは親が留守の隙を狙って私に激しい暴言を吐き、日常的に暴力を振るうようになったのです。兄である私を見下し、痛めつける弟の目は冷酷そのものでした。
この地獄のような家を抜け出し、働きながら大好きな絵の勉強をしたい。私は歯を食いしばりながら、高校卒業のその日をじっと待ち続けました。
アルバイトに明け暮れた5年間 画家になる夢だけは捨てなかった
高校の卒業式が終わると同時に、私は約束通り実家を追い出されるように去りました。
渡されたのは、わずか10万円ほどの支度金だけ。家を出る私を見送る両親の顔は、まるで「厄介な憑き物が取れた」と言わんばかりの清々しい表情をしており、その冷たさが今でも目に焼き付いています。
18歳でひとり身を投げ出された東京での生活は、極貧そのものでした。
しかし、あの暗く冷たい実家にいることに比べれば、自分の力で生きていく毎日ははるかに自由でした。私は「将来、必ず画家の道を切り拓く」という強い意思を持ち、絶対に夢を諦めないと心に誓いました。
それからの5年間は、まさに怒涛の日々でした。
朝はまだ暗いうちから新聞配達をし、日中はファミリーレストランの厨房で皿洗いや雑用などの泥臭い作業に追われました。倒れ込むようにアパートへ帰り、わずかに残ったお金をコツコツと貯めながら、夜は猛勉強に励みました。睡眠時間を削って画塾の費用を作り、実技と学科の対策を続けました。
そして23歳の年、私は奇跡的とも言える努力の末、日本の芸術大学の最高峰である「東京藝術大学」に合格することができたのです。
大学に入学してからも、生活費と学費を稼ぐためのアルバイト生活は続きました。決して裕福な学生生活ではありませんでしたが、同じ志を持つ仲間と出会い、妥協なくキャンバスに向かい、キャンパスで芸術を学ぶ日々は、私の人生の中で間違いなく最も輝かしく、楽しい時間でした。
28歳で無事に大学を卒業。在学中に描いて出品した作品が有名なコンクールに入選したことが、私の運命を大きく動かしました。
その絵を偶然目にされた美術関係者の方から「君の才能を日本だけで縮こまらせるのはもったいない。フランスへ留学してみないか」と声をかけていただいたのです。
私は迷わず渡仏を決意しました。フランスでの4年間は、現地の画廊や美術館を巡り、本場の空気に触れながら自身の表現を磨き上げる濃密な時間となりました。帰国後、私はプロの画家として独立。個展の開催や絵画の売却、イラスト・デザインの受託などで順調に収入を得られるようになり、絵画を生業として十分に生活できるようになっていました。
高校を卒業したあの日以来、私は実家との連絡を一切絶ち、彼らの存在を記憶の奥底に封印していたのです。
35歳の冬、祖母の訃報 葬儀で再会した毒親と弟
月日は流れ、私が35歳になった冬のことです。
高校進学の際、唯一の味方として私を助けてくれた祖母が亡くなったという連絡が入りました。連絡をくれたのは、親戚の中で唯一交流が続いていた、母の妹の息子である従兄弟の立花大輔でした。
両親や弟には二度と会いたくありませんでしたが、恩人である祖母の最期を見送り、感謝を伝えるため、私は気が進まないまま葬儀へと向かいました。
焼香を済ませた後、両親が私の姿を見つけるなり、すがるような表情で駆け寄ってきました。
「典史! ずっと探していたんだぞ!」
感動の再会を装う両親でしたが、その言葉の裏にある醜い意図はすぐに透けて見えました。
従兄弟の大輔から聞いていた話によると、両親が溺愛していた弟の隆司は、大学卒業後に就職した会社で人間関係のトラブルやいじめに遭い、早期に退職。それ以降、何年も自室に引きこもり、完全な無職(ニート)状態になっているというのです。
さらに、父は定年退職を迎えており、残り少ない退職金と細々とした年金暮らし。働かない大柄な弟をこれからも養っていくことに強い不安を感じた両親は、いまや画家として成功し自立している私を探し出し、弟の面倒や生活費を押し付けようと考えていたのは明白でした。
幼い頃は私をゴミのように扱い、弟ばかりを可愛がっていたくせに、都合が悪くなると長男の私に頼ろうとする――その身勝手さに、猛烈な吐き気が催しました。
葬儀が終わると、両親からの電話や手紙、メールが執拗に届くようになりました。
私は一切の未練を断ち切るため、即座にアパートを引っ越し、スマートフォンも解約して番号を変更しました。さらに、以前から計画していた世界一周のスケッチ旅行へと旅立ち、約2年間、完全に日本を離れて創作活動に没頭しました。彼らから物理的にも精神的にも遠く離れることで、ようやく心の平和を取り戻すことができたのです。
独身の画家が抱いた決意 あいつには一銭も渡したくない
それから約15年の月日が流れました。
私は50代を迎え、画家としての地位も確固たるものとなっていました。東京と札幌に拠点を持ち、作品の売上や不動産投資、預貯金を合わせて1億円ほどの資産を築くに至っていました。独身を貫き、自分の描きたい絵を描いて暮らす穏やかな日々でした。
そんなある日、唯一連絡先を知っている従兄弟の大輔から一本の電話が入りました。
「典史さん、叔父さん(私の父)が突然の心筋梗塞で亡くなったよ」
思えば何の愛情も注いでくれなかった父親でしたが、血縁としての最後のリスク管理を確認する意味も含め、私は苦渋の決断で葬儀に参列しました。
式場に到着し、静かに手を合わせようとした私のもとに、あの憎き弟・隆司がすり寄ってきました。
何年間も働かず、すっかり丸々と太った弟が、私の顔を見るなり放った第一声は、信じがたいものでした。
「兄貴、長男なんだから、これからは母さんと俺の面倒を見ろよ。当然だろ?」
謝罪の言葉も、久しぶりの再会を喜ぶ素振りもなく、口を開けば金の要求。昔と変わらない恐ろしいほどの身勝手さと強欲さに、私は言葉を失いました。
「お前たちに払う金も、見せる顔も一切ない」
私はそう言い残し、すぐに式場をあとにしました。
その後、私は再び住居を移し、母や弟がどのような手段を使っても私の居場所を特定できないよう、厳重に連絡手段を遮断しました。また、父が亡くなった際の相続においては、家庭裁判所で正式に「相続放棄」の手続きを行いました。実家の古い土地や建物など、父の遺産を受け取るつもりは毛頭なかったからです。
それからわずか1年後、母も後を追うように亡くなったと大輔から聞きました。
これで、私の血縁者は弟の隆司ただ一人となりました。
現在、私の手元には、過酷な下積み時代を経て、汗と涙で築き上げた1億円相当の財産(預貯金、不動産、自作の美術品)があります。そして私には妻も子供もいません。
もし今、私に万が一のことがあったら、この財産は一体どうなるのか?
法律のルールに従えば、唯一の親族であるあの憎き弟に、私の大切な財産がすべて転がり込んでしまうのではないか?
「自分の命を削って作ってきた財産や絵画を、私を虐待し、楽して生きようとするあの弟にだけは、一銭たりとも渡したくない。自分の人生の結末くらい、あいつに邪魔されずに自分で決めたい」
強い決意を胸に、私は信頼できる知人の紹介を受け、札幌にある行政書士事務所の門を叩くことにしたのです。
自分の人生の最後くらい自分で決めたい 典史が専門家に相談した理由
事務所のドアを叩いた典史さんは、静かですが固い決意を秘めた瞳で、これまでの壮絶な半生を語ってくださいませした。
「行政書士さん、私は幼い頃から家族の愛情を知らずに育ちました。高校を卒業してからは誰の助けも借りず、新聞配達や雑用に追われながら、自分の腕一本でここまで生き抜いてきたんです。今の財産は、私の血と汗の結晶であり、私という人間の生き生きた証そのものです」
典史さんは深く息を吐き、言葉を続けました。
「父や母が亡くなり、残された親族はあの弟だけになりました。昔私に暴力を振るい、今も働かずに親の脛をかじり続けていたあの弟に、私の死後、1億円もの財産が引き継がれるなんて、到底納得がいきません。法律を使って、弟への相続を完全に阻止することはできるのでしょうか?」
典史さんの切実な問いかけに対し、行政書士は一人の人間として、深く頷きながらお答えしました。
「典史さん、本当によくぞご相談に来てくださいました。これまで想像を絶するご苦労を重ねてこられましたね。ご安心ください。適切な法律上の対策を講じれば、弟へ財産が渡るのを確実に防ぎ、ご自身の意思通りに大切な資産を活かすことができます」
ここからは、典史さんのように「特定の親族に財産を渡したくない」「毒親や身勝手な兄弟から自分の身と財産を守りたい」と悩んでいる方々に向けて、知っておくべき法律上の重要な5つの対策を詳しく解説してまいります。
第2章 毒親や憎い弟から自分の財産を守るために知っておきたい5つの対策
親と絶縁すれば相続関係もなくなる? 法律上の「絶縁」と「相続放棄」
まず、典史さんのような状況にある方が真っ先に勘違いしやすいポイントについて整理しておきましょう。
それは、「親や兄弟と連絡を絶ち、絶縁宣言をすれば、法律上の相続関係も消滅するのではないか」という点です。
結論から言うと、どれほど強く「絶縁」を宣言し、何十年も音信不通であったとしても、法律上の親子関係や兄弟関係が自然に消えることは原則としてありません。
1. 親との絶縁宣言だけでは法定相続人としての地位はなくならない
民法では、感情的な絶縁や戸籍上の別居、連絡拒否などは、相続権の成否に影響を与えません。どれほど冷酷な親であったとしても、あるいはどれほど憎い弟であったとしても、血縁関係がある限り、法律上の「法定相続人」としての地位は保持され続けます。
2. 親の介護をすることと、親の財産を相続することは別の問題
「親の介護を拒否したから、相続権も失うのではないか」「親を看取っていないのだから、相続人になれないはずだ」と考える方は少なからずいますが、これらも法的には別個の問題です。扶養義務を果たさなかったことだけを理由に、直ちに相続権が剥奪されるわけではありません。
3. 相続放棄は「自分のために相続が開始したことを知った時」から3か月以内
典史さんは父が亡くなった際、家庭裁判所で正式に「相続放棄」を行いました。
相続放棄とは、被相続人(亡くなった人)の権利や義務(プラスの財産もマイナスの借金もすべて)を承継しないとする手続きです。
この手続きは、原則として「自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内」に、被相続人の最後の住所地を管轄する家庭裁判所に申述しなければなりません。
4. 生前に相続放棄を済ませることはできない
よく「将来のトラブルを防ぐため、生きているうちに親や弟に相続放棄をさせたい」というご相談をいただきます。しかし、被相続人が生存している間(生前)に相続放棄の手続きをすることは法律上一切できません。 相続放棄は、あくまで対象者が亡くなった後に初めて可能となる手続きです。
5. 親の相続を放棄しても、自分自身の財産について弟との相続関係がなくなるわけではない
ここが最も重要なポイントです。
典史さんは「父親の財産についての相続放棄」を完了させました。これによって「父の遺産を受け取る権利」は放棄できましたが、「将来、典史さん自身が亡くなった時に、弟が典史さんの財産を相続する権利」までが消滅したわけではありません。
「親の遺産を放棄したこと」と「自分の遺産が誰にいくか」は全く別の話です。典史さんが自分の財産を弟に渡さないためには、父の相続放棄とは別に、自分自身の財産に向けた独自の対策を講じる必要があるのです。
自分が亡くなったら弟が相続人になる?――法定相続人と相続順位の仕組み
自身が亡くなった際、一体誰が財産を引き継ぐ権利を持つのでしょうか。民法では「法定相続人」とその「優先順位(相続順位)」が定められています。
典史さんのように独身で子どもがいないケースをあてはめながら、その仕組みを確認します。
法定相続人の優先順位
| 順位 | 相続人となる人 | 典史さんの状況 |
| 配偶者 | 常に相続人となる | なし(独身) |
| 第1順位 | 子(またはその代襲相続人である孫など) | なし |
| 第2順位 | 直系尊属(父母、祖父母など) | 父母・祖父母ともに他界 |
| 第3順位 | 兄弟姉妹(またはその代襲相続人である甥・姪) | 弟(隆司氏)が該当 |
相続順位のルールと典史さんの現状
① 配偶者は常に同順位
配偶者がいれば必ず相続人になりますが、典史さんは独身です。
② 第1順位(子や孫)
子どもがいれば全額(または配偶者と分けて)相続しますが、典史さんにはお子さんがいません。
③ 第2順位(父母・祖父母)
子どもがいない場合、親や祖父母などの「直系尊属」に相続権が移ります。典史さんの場合、お父様も他界され、お母様、お祖母様も既に亡くなっています。
④ 第3順位(兄弟姉妹)
第1順位も第2順位も誰もいない場合、最後の順位として「兄弟姉妹」に相続権が回ってきます。
つまり、現在の典史さんの状態のまま(何の対策も講じずに)万が一のことがあった場合、民法の規定により、典史さんの1億円相当の財産はすべて弟である隆司さんへ自動的に引き継がれてしまうことになります。
さらに、もし弟の隆司氏が典史さんより先に亡くなっており、隆司さんに子ども(典史さんから見た甥や姪)がいた場合は、その甥や姪が「代襲相続(だいしゅうそうぞく)」によって財産を引き継ぐことになります。
「自分は独身で身寄りが薄いから、死んだら財産は自然と国のもの(国庫)になるだろう」と思い込んでいる方は非常に多くいらっしゃいます。しかし、実際には兄弟姉妹がいる限り、どれほど不仲であっても国庫には入らず、兄弟姉妹が最優先で遺産を受け取る権利を得てしまうのです。
このリスクを回避するためには、次に解説する「最重要対策」が不可欠となります。
弟に一銭も渡さないための最重要対策 遺言書を作成する
憎い弟へ財産が渡るのを完全に防ぎ、自分の意思通りに財産を遺すための最も有効かつ決定的な手段、それが遺言書の作成です。
法律上、遺言書が存在しない場合は法定相続分に基づいた分け方(あるいは相続人同士の話し合い)になりますが、有効な遺言書が存在する場合は、法定相続よりも遺言書の指定が最優先されます。
遺言書を活用した具体的な対策
① 預貯金や不動産などの引き継ぎ先を明確にする
「全財産を〇〇(特定の友人、支援者、あるいは福祉団体など)に遺贈する」といった内容を記載することで、弟への財産移転を遮断できます。
② 美術品や絵画を特定の美術館・団体へ寄付(遺贈)する
画家である典史さんの場合、現金や不動産だけでなく「自作の絵画や所有する美術品」の行き先も重要です。文化事業を行っている自治体や公立美術館、芸術支援団体などに遺贈する旨を書き記すことで、大切な作品群を社会のために活かすことができます。
③ 遺言執行者を指定する
死後、遺言書の内容通りに手続き(預金の解約、不動産の登記変更、寄付の手続きなど)を正確に実行してくれる「遺言執行者」をあらかじめ専門家などに指定しておくことで、弟に妨害されることなくスムーズに遺言を実現できます。
④ 状況の変化に応じて見直す
財産の内容が変わったり、支援したい対象が変わったりした場合は、いつでも新しい遺言書を作って撤回・変更することが可能です。
兄弟姉妹には「遺留分」がないという最大の強み
でも、遺言書を書いても遺留分を弟から請求されるのではないか?と思う方もいらっしゃるかもしれません。
「遺留分」とは、一定の法定相続人に対して、遺言によっても奪うことができない「最低限の遺産取り分」のことです。例えば、配偶者や子ども、親であれば、遺言書で「第三者に全額譲る」と書かれていても、法律上一定割合の金銭を請求する権利(遺留分侵害額請求権)が認められています。
しかし、ここに重要な法律上のルールがあります。
民法上、兄弟姉妹(およびその代襲相続人である甥・姪)には遺留分が認められていません。(民法第1042条)
これは典史さんにとって最大のメリットです。
配偶者も子どもも親もおらず、相続人が弟のみである典史さんの場合、有効な遺言書を作成して「全財産を〇〇に遺贈する」と書き残しておけば、弟の隆司氏には、法律上1円も財産を請求することができなくなります。
遺言書一枚によって、憎い弟への相続を「ゼロ」にすることが可能となります。
自筆証書遺言と公正証書遺言 確実に意思を残すにはどちらがよい?
遺言書を作成する決意を固めた際、次に検討すべきなのは「どの作成方式を選ぶか」という点です。個人が作成する代表的な遺言書には「自筆証書遺言」と「公正証書遺言」の2種類があります。
1. 自筆証書遺言(法務局の保管制度を含む)
自筆証書遺言は、遺言者が本文、日付、氏名をすべて手書き(自書)し、押印して作成する方式です。
※ 財産目録については、パソコンでの作成や通帳のコピー添付が認められています。
- メリット: 費用があまりかからず、いつでも一人で作成できる。
- デメリット: 形式上の不備(日付の抜け、署名捺印のミスなど)によって無効になるリスクがある。また、紛失や破棄、改ざんの恐れがある。
※ なお、近年始まった「自筆証書遺言書保管制度」を利用し、作成した遺言書を法務局に預けることで、紛失や隠匿のリスクを防ぐことができ、死後の家庭裁判所での「検認手続き」も不要になります。
2. 公正証書遺言(行政書士が最も推奨する方式)
公正証書遺言は、公証役場にて公証人(元裁判官や元検事などの法律のプロ)が関与して作成する公文書としての遺言書です。証人2名の立ち会いのもとで作成されます。
- メリット:
- 公証人が内容をチェックするため、形式不備で無効になるリスクがほぼゼロになる。
- 原本が公証役場に永久保管(超長期保管)されるため、紛失・破棄・改ざんの心配がない。
- 遺言者の意思能力や作成経緯の厳格さが担保されるため、死後に弟側から「偽造だ」「認知症で書かされた」などと無効を主張されて争われるリスクを最小限に抑えられる。
- 家庭裁判所での検認手続きが不要なため、死後すぐに遺言執行を開始できる。
- デメリット:公証人の手数料や、専門家への依頼費用が発生する。
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典史さんのようなケースでどちらを選ぶべきか?
典史さんの場合、海外でのスケッチ旅行や取材で長期不在にすることも多く、万が一の際にも確実に発見され、発効する仕組みを作っておく必要があります。
また何より、相手はかつて暴力を振るい、父親の葬儀でも強欲な姿勢を見せた弟です。もし自筆証書遺言にわずかな書き間違いや曖昧な表現があれば、それを口実に「兄は判断能力が低下していた」「この遺言は無効だ」と訴訟を起こしてくる可能性も否定できません。
したがって、典史さんのように「特定の親族とトラブルが予想される場合」や「確実に遺言内容を実現させたい場合」は、極めて安全性の高い「公正証書遺言」を作成することを強くお勧めいたします。
財産を守るだけでなく、未来へ託す 行政書士などの専門家に相談する
最後に、典史さんのようなお悩みを抱えた方が、実際に進めていくべき具体的な準備の手順を整理してみましょう。
典史さんが進めるべき5つのステップ
① 自身の財産を正確に整理・一覧化する
預貯金口座、所有する不動産、株式・証券、そして所有する絵画や美術品などのリスト(財産目録)を作成します。
② 将来の推定相続関係を確認・把握する
自身の戸籍謄本を取り寄せ、現在の法的相続人が誰であるか(典史さんの場合は弟の隆司氏のみ)を確定させます。
③ 「誰に・何を・どのような思いで託すか」を決める
弟以外で、ご自身の財産を譲りたい相手(お世話になった友人、芸術の発展を支援する公益法人、母校の芸術大学、札幌市などの自治体、保護猫・保護犬団体など)を具体的に選定します。
④ 遺言書の方式を選び、遺言執行者を指定する
公正証書遺言での作成を選択し、万が一の際に確実に手続きを実行してくれる専門家(行政書士など)を「遺言執行者」に選任します。
⑤ 定期的な見直しを行う
将来、財産状況が大幅に変わったり、新たな支援先が見つかったりした場合は、情勢に合わせて遺言書を書き換えます。
単なる「拒絶」から「未来への希望」へ
相続対策というと、嫌いな相手に渡したくないというマイナスの感情からスタートすることが少なくありません。典史さんも最初は弟に一銭も渡したくないという一心でした。
しかし、手続きの中で、典史さんの表情は徐々に明るくなっていきました。
典史さんが苦労して築いた1億円と、命を吹き込んできた絵画たちを、これからの未来のためにどう活かしたいかを考えるようになりました。
私のように、親の助けを得られず、経済的な苦境の中で芸術家を目指している若者たちがたくさんいます。私の遺産の一部を基金にして、若手画家の育成奨学金として使ってもらいたい。そして自作の絵画は、私を育ててくれた札幌や東京の美術館に寄贈して、多くの人に見てもらいたい。
弟に渡さないという対策は、典史さんにとって単なる防衛ではなく、自分の生きた証を、愛する芸術の未来へと託すという希望に満ちた選択へと変わりました。
行政書士が寄り添う役割
行政書士は、遺言書の文案作成支援、公証人との事前打合せ、必要な戸籍類や各種証明書の収集、さらには遺言執行者としての死後手続きの引き受けなどを通じて、ご依頼者の切実な意思を法的な形にするお手伝いをしております。
※ なお、親族間で既に具体的な紛争(裁判・調停)が発生している場合や、複雑な法的交渉が必要な局面においては、弁護士などの適切な専門家と連携してサポートを行います。
おわりに
誰にも愛されず、冷遇された少年時代。
アルバイトに明け暮れ、眠気をこらえながら絵筆を握り続けた青春時代。
自らの力だけで運命を切り拓き、1億円もの資産と素晴らしい作品群を築き上げた典史さんの人生は、誇り高き勝利の物語です。
だからこそ、その人生の幕引きを、ご自身を苦しめた人物に壊されるようなことがあってはなりません。
法律は、正しく知り、正しく使うことで、あなたの大切な財産と尊厳を守る強力な盾となります。
・ 身勝手な家族や親族に、自分の財産を渡したくない
・ 独身で子どもがいないが、死後の資産のゆくえを自分で決めたい
・ 自分の財産を、お世話になった人や社会のために役立てたい
札幌でこのようなお悩みを抱えていらっしゃる方は、どうかお一人で悩まず、行政書士などの専門家へご相談ください。あなたの歩んできた人生と思いに寄り添い、未来を守るための最適な法的手段をご提案いたします。
自分の人生の最後は、自分で決める。
その一歩を、今ここから踏み出してみませんか。
■ 札幌での相続・遺言、その他公正証書等様々なご相談なら
札幌市東区の「つしま行政書士事務所」では、実家の相続手続きや、遺言書の作成、その他公正証書等に関するご相談を承っております。 40年間の企業法務・契約業務の経験とFPの視点を活かし、ご家族の想いを形にするサポートをいたします。初回相談は無料ですので、一人で悩まずに、まずはお気軽にご連絡ください。
※ なお、紛争の解決についてはうけたまわれません。
【お問い合わせ先】 つしま行政書士事務所
- 所在地:札幌市東区
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☎ 011-788-3883
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